2012年10月31日水曜日

ネット集合知

今日の新聞でネット集合知について書かれた興味深い記事を見つけた。

ネット上の衆知を集めれば専門家に負けない知を選択することができるかという内容。


例えばテレビのクイズ番組などでは4択の問題が出されたとする。
その問いに対して専門家に質問するより、素人の選択したアンケート結果を参考にした方が正当率は高いらしい。

しかし4択の問題ではなく、無数の意見がある事に対しては必ずしも有効では無いらしい。
それは意見を述べる人の前提条件をまとめるスキルがネット上でまだ有効には働かないから。
意見の推定はできるがそれが最適解かは判断がつきかねる。というものらしい。

原発の問題等は正にそうでしょうか。


さて建築において決断は多々ある。
プランニングからデザイン、コスト計画など
図面で全て決まったとしても現場で変更を余儀なくされ選択を迫られる事など良くあること。
決断の際に大勢の意見を聞き、それを取り入れていけば良いものが出来るのか?

近代から現代に入り建築界にも様々な方法が試みられている。
最近では一つの問いから最適解をコンピュータがひじき出す、いわゆるアルゴリズムによるデザイン手法もある。
しかし回答を選ぶのは人間であり、恣意的にならざる得ないのでは無いか。

組織スタイルも個人アトリエから組織事務所まで多様だが、多人数の組織事務所が社会においてより満足度が高い建築ができるのか?

建築において良い悪いはデザインだけで無く、耐久性・メンテナンスなど係わる人によっての価値判断においてのものだから一概には言えない。ともいえる。

しかし世の中にこの建物なんかいい。居心地がいいなと「なんとなく」愛されている建築があるのも確かだ。
この「なんとなく」にヒントがありそうだ。

住宅デザインでは顧客の意見や偶然性がデザインを決める場合が多いかも知れない。
周り巡って「うんうん」考えれる思考プロセスが非常に大事で、簡単に決まったものが後で変更になるのはロジカルな面ではなく多い気がする。

奥様のキッチンデザインについて機能面や最近のトレンドやアンケートなんかでお話しても、方向性は多少まとまるが「決定打」とはなりえない。
決めた後も逡巡する場合が多いですよね?

それは個人の満足感だから集合的知とは無関係なのでは?
と思いのですが。
住宅の打合せをしていると最近のトレンドとかを無意識的に選ばれる場合があり、この多様性な社会で集合知が無意識的に流れているのを常に感じます。
なんとなく選んでしまう。この「なんとなく」が集合知、いや集合的無意識かも知れない。

この「なんとなく」はその場限りでなく
未来に対して時間への耐久性はあるのかとの問いに対してはまたの機会にします。


建築設計、特に住宅設計は集合知と個をつなげている作業かもしれない。

*PS
冒頭の記事ではクイズにおける専門家の正答率は65%程度に対し、素人のアンケート結果は90%を超えるそうだ。





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