2014年3月11日火曜日

震災にあたり

今日、3月11日で震災から3年が経つ

類似の地震、火山噴火、台風、飛行機事故、テロも無縁では無い

その様な災害から建築はどの様にあるべきなのであろうか
様々なアプローチから存在について問題提起をしてみたいと思う。

建築が「いま」・「ある地点」に存在する理由は
人が利用する空間としての役割があるからだ。

しかし、人が利用しない・できない建築
福島原発付近の震災当時そのままの建物はどうであろうか。
それ自体に震災の記憶として存在している。

アドラー心理学では、共同体とは人間だけでなく地球・宇宙までを包括する。
共同体へのつながりとして、存在自体がつながりを持つという。

メディアが発達した現在、
存在は個人の選択なしに見せつけられる。

存在としてつながり
そこに建築の持つ存在の重さを感じる。