2017年10月6日金曜日
何をたてるか
そもそも建築事務所が自由に敷地を選択し何を建てるかなど、頭をひねる機会はほとんどなかった。(学生の課題ぐらいか?)
機会自由は建築設計という概念自体からアートとしての移行する。
建築依頼の大部分は施主、つまり建築家本人ではなく第3者からである。
そこに建築家としての社会性、いわゆる自己で企画し自分で愛でるものではない建築の社会性の端緒になっている。
建築家は場所に建つ建築を定義し、その建築に関わる周囲を巻き込んでいく存在であったはず。
しかし、最近の設計活動を見ていると、デベロッパーといわれる事業主がおり、コーディネーターや不動産、PM(プロパティマネジメント)など聞きなれない職種の方々と仕事をする機会も多い。
何を立てるかの企画から計画・建築法規・外装デザイン・内装デザイン・ランドスケープ・・・・・とデザイン設計も細分化される。
ウチの事務所でも自身で簡潔できるものはどんどん少なくなり、しかし情報整理としての役割を担いつつ、自身の考え方を表現しようとする。
「かたち・デザイン」にとらわれず創造性を発揮していくことが求められている。
そこに知見や知識のみならず人間としての個の哲学が必須となり、実現を担保する資力が求めらる。その資力をどのように確保し扱うか・・が建築家つまり建築設計として考えるべく課題と考える。
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