今日、3月11日で震災から3年が経つ
類似の地震、火山噴火、台風、飛行機事故、テロも無縁では無い
その様な災害から建築はどの様にあるべきなのであろうか
様々なアプローチから存在について問題提起をしてみたいと思う。
建築が「いま」・「ある地点」に存在する理由は
人が利用する空間としての役割があるからだ。
しかし、人が利用しない・できない建築
福島原発付近の震災当時そのままの建物はどうであろうか。
それ自体に震災の記憶として存在している。
アドラー心理学では、共同体とは人間だけでなく地球・宇宙までを包括する。
共同体へのつながりとして、存在自体がつながりを持つという。
メディアが発達した現在、
存在は個人の選択なしに見せつけられる。
存在としてつながり
そこに建築の持つ存在の重さを感じる。
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